2012/12/17

選挙

昨日は衆議院議員選挙の投票日だった。
投票は国民の義務であり、また、国民が政治に参加できる唯一の手段でもある。
特に、政党が乱立した今回の選挙では、有権者に与えられた選択肢は普段よりも多かった。
連日、テレビでは各党の代表者らによる討論が放送され、一般人の政治に対する関心は決して低くはなかったように思う。
しかし、嘆かわしいことに、今回の選挙の投票率はわずか60%弱で、過去最低だったという。
これは一体、何故なのか。
何故、これほどの人が日本国民としての権利と義務を放棄してしまうのだろうか。


私は、無投票=政治への無関心、だとは思わない。
人々が選挙に行かない理由の一つは、「自分が投票に行っても、結局何も変わらない」、という諦観だろう。
また、政治に関心を持ち、政治の流れを見つめてきたからこそ、あえて投票に行かなかったという人も多いのではないだろうか。
好きな人間に投票する自由があるのなら、誰にも投票しない自由もあるのではないか。
過去最低の投票率という結果は、政治参加への消極性ではなく、むしろ、現在の選挙制度に対する抗議と捉えるべきなのかもしれない。

選挙とは、国民がそれぞれ自分の考えに近い候補者・政党に投票することで、国政に間接的に参加する手段である。
その選択の根拠になるのが、各候補者・各政党が選挙時に謳う『公約』だ。
候補者・政党は、自分たちの理念と目標を掲げ、当選のあかつきには何をして、何をしないかを有権者に訴える。
そして、有権者はその演説を聞き、誰に投票するかを選ぶ。
これはいわば、国民と政治家との契約に他ならない。
だが、現実として、一体どれほどの公約が守られているのだろうか。
ちなみに、民主党政権下での公約達成率は56%(民主党発表)とのことだ。

選挙時の公約を、有権者と政治家の間に結ばれた契約とするならば、それに反することは契約の不履行である。
そして、不履行となった契約は、通常、破棄されるものだ。
ならば、政治家も公約に反することをしたら、議員バッジを外すべきではないだろうか。
例えば、「消費税を絶対に上げない」と言って当選した野田前首相が、誰よりも先頭に立って増税の実現に突っ走るなど、本来、あってはならない事ではないのだろうか。
仮に、そんな重大な公約違反が許されるなら、選挙とは一体何なのか。

そもそも日本の政治は、公に言われているほど民主主義的なのだろうか。
本当に国民に主権が委ねられているのだろうか。
選挙を経ずに首相がコロコロ変わり、各政党は離合集散を繰り返し、結果、政治が国民の手からどんどん離れていく。
私には現在の選挙制度が、国民を政治に参加していると錯覚させるだけの茶番にしか過ぎないように感じられる。
よく知りもしない、信用もしていない候補者たちの中から強制的に選ばせられ、当選した者たちが後で何をしようが、「民意によって選ばれたのだから」と国民に責任転嫁される。
選挙に行かないことで何かが変わるわけではないが、行けばこの不備だらけの選挙制度を是認したことになる。
ならば、投票しないというのも、一つの選択であり、立派な主張ではないだろうか。


「あなた達の中に信用できる人間はいません」
「今の選挙制度を認めません」

この40%の無投票層の存在は、現在の政治・政党に対する失望と拒絶の表れであり、大勝した自民党にとっても潜在的な脅威として影響を与えていくだろう。
膨れ上がる失望は人々を追い詰め、追い詰められた人々はよりリスキーな選択をするものだ。
もし安倍政権、そして、その次に来るであろう石破政権が国の立て直しに失敗した場合、文字通り、日本に再び維新の嵐が吹き荒れるかもしれない。
まぁ、いずれにせよ、私が初投票に出かけるのは、もうしばらく先になるだろう。

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