2013/11/25

戦後の終わり

中国が尖閣諸島を含む海域に新たな防空識別圏を設定した、とニュースになった。
これによって、いよいよ武力衝突、そして、戦争という最悪の事態が決してあり得ない話では無くなってきた。
だが、まだほとんどの日本人は、そこまで事態は悪化しないだろうと考えているように思う。

2013/11/19

Nepal-125: 制憲議会選挙 (二回目)

1119の今日、ネパールでは重大なイベントが行われる。
民主化してから二度目の『制憲議会選挙』である。
ニュースなどではほとんど報道されていないが、これはネパールという国の今後を決める極めて重要な選挙であり、今、ネパール全土が極度の緊張状態にある。(まぁ、元々緩みまくっているネパール人は、これでやっと人並みのような気もしないではないが‥‥)
実際、選挙の実施に不満を持つグループが各地で抗議行動をしており、特に人口の多い都市部周辺では、連日のように焼き討ち爆弾騒ぎが起きているらしい。
比較的治安の良いポカラでも爆弾が見つかっていて、安全のため、学校は全て休校となっているという。
ホステルの生徒たちも、プシュパとジャラナの姉妹以外は皆、村に帰っている。
一応、選挙の3日後くらいから学校を開く予定らしいが、選挙結果によっては更なる混乱も予想される。
最悪の場合、再び内戦状態に戻ってしまう可能性も決して無いわけではないのである。

2013/10/11

Nepal-124: チャイルド・フェスティバル ②

子供向けFMラジオ『チュヌムヌ』主催のイベントが、ポカラで開催されている。
2日目の今日は、クイズ・コンテストが行われる予定で、これにはビル、スリジャナ、サンジェイの3人が1チームとなって出場する。
予選は二つのグループに分かれ、順に行われたが、うちのチームは最初のグループだった。
ちなみに、他の出場者は各学校の代表で、うちのチームよりも年齢層も高い。
正直、予選突破は難しいだろうが、まぁ、ダメで元々。
3
人が頑張って楽しんでくれれば、私としては十分である。


2013/09/20

Nepal-123: チャイルド・フェスティバル ①

ネパールでは9月の第一週に、『ティージ』という女性のためのお祭りが行われる。
それに合わせて、ポカラの子供向けFMラジオ局『チュヌムヌ』が、子供のためのイベントを開催した。
一つのホールを5日間借りきって、大々的に行われるようだ。
主なプログラムは、ダンス・コンテスト、クイズ・コンテスト、歌唱コンテスト、絵画コンテストの4つで、8歳から16歳までに出場資格がある。
祭りと聞いちゃあ、こちとら、江戸っ子として黙っちゃいられねえ――――ってなワケで、私はホステルの生徒たちを参加させる事にした。
人前で何かをする機会など、なかなかあるものでは無いし、子供のうちから色んな経験をすることは、その後の人生の幅を広げてくれる。

2013/08/30

Nepal-122: 心機一転

こうして全員が無事KEFに合格し、今年度からホステルにサンジェイとジャラナが加わる事が決まった。
サンジェイの家族も大喜びで、父親などは出稼ぎ先のカタールから私に直接電話してきたほどだ。
一方、プシュパとその母も、ジャラナのKEF合格に心底ホッとしたようだ。
これでホステルのメンバーは総勢6名となり、休み明けからプシュパによる新体制でのスタートとなる。
しかし、人数が増えれば、それだけ管理は難しくなる。
特に新しく入るサンジェイとジャラナはまだ小さく、どちらも少し甘やかされてきたようなので、しばらくはバタバタした日が続くだろう。

2013/08/24

Nepal-121: 2013年度入試 (後)

マザーランド入試の翌日――――今日は『KEF HSS』の入試日だ。(ちなみに、『HSS』は『Higher Secondary School』の略で、12年生までクラスがあることを意味している)
このKEFはマザーランドと比べると規模も小さく、知名度は無に等しい。
事実、昨年の数学コンテストまで、私もこの学校の名を聞いたことがなかった。
しかし、日本の偏差値のような共通の評価基準が存在しないネパールの場合、「知名度や評判」と「実際の学校の質」は必ずしも一致しない。
こういった状況では、生徒の親たちはどの学校が良いかを客観的に判断することができず、学校の評判は校舎や設備の立派さなどの「外見」によって決まってしまいがちだ。
私が数学コンテストを企画した目的の一つは、そうした不確かなデータによらず、本当に良い学校をホステルの生徒たちのために探すことにあった。
まぁ、コンテストの結果だけで各学校のレベルを断定することは出来ないが、それでも一つの客観的なデータとして学校選びの参考になることは確かだ。
その結果、このKEFという学校を見つけ出すことができ、今、こうして生徒たちが入試を受けようとしている。
論理性には欠けるが、私はこういった『縁』にも何らかの意味があるのでは、と考えている。

2013/08/09

Nepal-120: 2013年度入試 (前)

今年、生徒たちが受験する学校は、最終的に二つの候補に絞られた。
一つはポカラで最も評判の良い学校のひとつである『マザーランドHSS』(以下、マザーランド)という学校で、生徒数は1500人ほどに及ぶ。
ちなみに、ここの校長とはFMラジオ・チュヌムヌのオフィスで会ったことがある。
彼自身も数学を教えているので、その時はまだ構想の段階だった数学コンテストの話にも大いに関心を示してくれた。
また、根本的な『教育』の考え方にも、私の意見と共通する部分が多かった事を覚えている。

もう一つはあまり有名ではないが、昨年の数学コンテストで優勝者を始め、何人も上位入賞者を出した『KEF HSS』(以下、KEF)という学校だ。
数学コンテストの成績だけで全てを判断することは出来ないが、彼らの答案からは基礎力の高さが感じられた。
生徒の基礎力が高いということは、教師がポイントを押さえた丁寧な指導をしている事を示しているように思う。
それには学校の方針だけでなく、教師自身のやる気が不可欠である。
私が学校選びで最も重視するのは、「教育の質向上に対する熱心さ」である。
私立校の中には教育の質よりも、学校の規模を拡大して儲けを増やすことしか考えていないようなのも多い。
KEF
は生徒数がマザーランドの半分ほどとそれほど大きい学校ではなく、校舎もこじんまりとしているが、「名を捨てて実を取る」ような雰囲気に好感を覚える。
マザーランドとKEFはどちらも教育そのもの、つまり、生徒の将来を第一に考えていると見る事ができる。
それが私がこの二つの学校を候補に選んだ理由だ。

2013/08/03

Nepal-119: 受験シーズン

前回書いたように、私は今年、新たにサンジェイという男の子をホステルに加えようと考えていた。
しかし、それにはまず、彼がポカラの私立校の入学試験に合格しなければならない。
さて、その入試に関してだが、私は昨年までとは少し違ったやり方をしてみようと思っていた。

2013/07/26

Nepal-118: 今年の有望株

4月――。
学校は春休みに入り、ホステルの生徒たちも村に帰ったが、私の忙しさはあまり変わらなかった。
春休みではあるが、例年通り私はSG小学校に行って特別クラスを開いていた。
特別クラスでは、各生徒のレベルに合わせて算数ドリルなどをやらせている。
お昼にはおやつを買ってきて配ったり、野球をやったりもしながら、それでも毎日朝から夕方まで45時間は勉強している。
特別クラスは少人数で、しかも個別に集中的に指導できるので、毎日来る生徒は目に見えて成長していく。
だが、他の子供たちが春休みを楽しんでいる時に、毎日学校に来てひたすら勉強するというのは、並大抵のことではないと思う。
少なくとも子供の頃の私だったら、絶対に来ないだろう。
そんな特別な子供たちだからこそ、特別なチャンスを与えてやりたいと私は思う。

2013/07/17

Nepal-117: 学年末

3月下旬。
学生にとっては、一年で最も大切なシーズンだ。
特にSLC(学校教育修了検定)を受ける10年生にとっては、文字通り、自分の将来を左右する数週間となる。
ホステルの生徒たちも、学年末テストに向けて最後の追い込みをかけている。
私は朝から夕方までSG小学校へ行き、学校が終わったらホステルへ直行して、彼らのテスト勉強を見るのが日課となった。
特にホステル一年目のスリジャナは、一年上のビルやシュレンドラに比べると今ひとつ成績が振るわない。
学年全体で言えば彼女の位置は中の上と決して悪くはないが、最初の一年で上位に食い込ませておかないと『並』でいることに慣れてしまう。
しかし、奨学生として援助をする以上、人並みで満足してもらっては困るのだ。

2013/07/14

Nepal-116: ヘッドハント

私がポカラで住処にしているホテル『マウンテン・ヴィラ』は、ポカラのレイクサイドと呼ばれるエリアにある。
このホテルはガイドブックに載っているような有名ホテルではないが、国籍問わずリピーターの多い「知る人ぞ知る」人気ホテルだ。
その『マウンテン・ヴィラ』の3軒隣りにあるのが、ススミタとキーランがいる『シャムロック・スクール』である。
ここには私もちょくちょく顔を出し、夜には映画などを見せたりしているので、生徒たちとも顔見知りだ。
というわけで、サビナに代わる新しい寮母を探し始めた私は、真っ先にシャムロックの卒業生に目をつけた。

2013/07/10

Nepal-115: クビ

前回書いたように、ホステルにはいくつかの問題があった。
私はビル、シュレンドラ、スリジャナの3人に何が問題かを説明し、このままだと彼ら自身にどんな悪影響が出てくるか言って聞かせた。
SG
小学校の頃から教えている彼らは、基本的に私に対しては素直だ。
また、自分が「何をすべきで、何をすべきでないか」が分からないほど愚かでもない。
だから、注意して様子を見守ってやれば矯正は難しくない。
しかし、そう簡単には行かない人間が、生徒の他に一人いる。
それは寮母役のサビナである。

2013/06/28

Nepal-114: 変化

20133月。
私が村から出てきた生徒たちのために小さなホステル(寮)を作ってから、もう一年半になる。
一昨年からポカラの大手私立校・KH学園に通っているビルとシュレンドラ、そして、去年仲間入りしたスリジャナと彼らの世話役のサビナも、このホステルでの生活にすっかり慣れたようだ。
しかし、慣れるのは必ずしも良い事ばかりではない。
今までとはまるで異なる「恵まれた」生活環境は、生徒自身の心境にも変化を及ぼす。
そして、それは時として、援助活動自体を無意味にしてしまう危険性をも孕んでいる。
今日はそんなあまり知られていない『援助の弊害』について、ホステルの出来事を交えて書いてみる。

2013/04/06

Nepal-113: 特に意味は無い

2013年2月。
私は再びネパールへと(以下略)。

さて最近、親しい知人からバイクを買った。
スズキのGS150Rと書いてあるので、それが名前なんだと思う。
以前のバイクも乗るのに支障は無かったが、一年経って運転にも慣れてきたので、ちょっとイイのに乗り換えてみようかと考えていた所、ちょうど知人が売りたがっていたので譲り受けたのである。(知人にはちょっと車高が高過ぎるらしい)
前のホンダに比べ排気量もアップし、SG小学校への通勤がより快適かつスリリング迅速になった。
ちなみに今日は休日だったので、隅から隅までキレイに洗車して、新しい主人が誰か分からせてやることにした。


洗車完了。
キレイになったので記念撮影。

2013/03/31

Nepal-112: 数学コンテスト ⑨

コーディネーターとして私が関わった初のイベントは、こうして成功のうちに幕を下ろした。
後の作業は採点と結果発表、そして成績優秀者の表彰だけである。

採点に関しては、評価基準を統一するために私一人でやることにした。
ただ一応、採点ミスの可能性も考慮して、長期休暇中のホステルの生徒・シュレンドラに確認を手伝ってもらう。


2013/03/26

Nepal-111: 数学コンテスト ⑧

第一ラウンドの制限時間は30分で、出題数は20問。
一問あたり1分半だが、全て小6~中2レベルの基礎問題なので、参加者の基礎能力を計るには適当な時間だろう。
各教室の監督は全てボランティアに任せているので、私はそれぞれの教室を見て回る。
あらかじめ、カンニングがしにくい机の配置と席の割り当てにしてあるので、特に怪しい行動も見られなかった。
制限時間が短いだけに、どの生徒たちも必死になって問題を解いていた。

2013/02/08

Nepal-110: 数学コンテスト ⑦

2012113日、コンテスト当日――――。
受付が始まる一時間半前、私は会場であるKH学園で、今日のイベントを手伝ってくれるボランティアを待っていた。
天気は快晴、準備は万端、ストも無ければ、睡眠時間もバッチリ。
出だしとしては文句無しだ。

2013/02/05

Nepal-109: 数学コンテスト ⑥

『チュヌムヌ』の協力のお陰で、十分な数の参加者が集まってくれる見込みが立った。
これで後は、当日までにどれだけ入念な準備が出来るかでイベントの成否が決まると言っても過言ではない。
その準備の中でも最も重要なのは、何と言ってもテスト問題の作成だろう。
この問題の質によって、コンテストの品格が決まると言える。

2013/02/03

Nepal-108: 数学コンテスト ⑤

状況は芳しくないが、コンテストは予定通り開催することに決定した。
後はもう迷わず、参加者を増やすためにあらゆる手を尽くすだけである。
――――などと言いつつも、さりとてここから戦況を劇的にひっくり返す妙案も、これといって思いつかない。
結局、地元の人間ではない私達がどう頑張っても、できる事には限界があるのだろう。
そこで私は、前々回に登場した友人であるFMラジオのマネージャーに相談する事にした。

2013/01/30

Nepal-107: 数学コンテスト ④

2012年10月下旬。コンテスト当日まで、あと10日――――いよいよ今日から参加者の受付が始まる。
参加希望者は、主催であるAAEE(アジア教育交流研究機構)の番号に直接電話して、名前と学校名を登録する。
その参加者の情報は後で私がリストにまとめ、それぞれに席番号を割り振る予定だ。
これは、会場で同じ学校の生徒が固まらないようにする事で、不正行為を抑止するための策である。

2013/01/26

Nepal-106: 数学コンテスト ③

ネパールの人々が一年の内で最も楽しみにしているダサイン祭り。
その長期休暇の真っ最中に数学コンテストを開催しても、充分な数の参加者を集めるのはかなり難しそうだ。
とは言え、やると決まったからには最善を尽くさねばならない。
そこで、まずはコンテストの情報をもっと広めるために、ラジオと新聞で広告を出すことにした。

2013/01/13

Nepal-105: 数学コンテスト ②

数学コンテストを開催することになったものの、準備に費やせる時間は一ヶ月も無い。
普通に考えたらかなり無謀なスケジュールだが、動き出してしまえば意外と話が早いのがネパールの良い所である。(ただし、民間に限る)

まず最初は会場の確保のため、AAEEの代表である某大学のS先生と共に、ビルたちの通うKH学園の理事長に会いに行った。
理事長は私が定宿にしているホテルの親族で、ポカラではかなり力を持った人物だ。
また、彼はAAEEの役員にも名を連ねており、おかげですんなりKH学園の教室を使わせてもらえることになった。
さらに、休み期間中ではあるが、KH学園の数学教師も協力してくれるという。
ただ、理事長が言うには、ダサイン休みの間にイベントをやっても、参加者はほとんど集まらないだろう、という事だった。
「集まっても、せいぜい20人くらい」という理事長の言葉が重くのしかかる。

2013/01/04

Nepal-104: 数学コンテスト ①

10月中旬。
期末テストも終わり、学校は約一ヶ月の『ダサイン休み』に入った。
ビル・シュレンドラ・スリジャナの三人も村に帰ったので、ホステルには世話役のサビナが一人で残っている。
彼女の大学の試験が、ストか何かの影響で休み期間にずれ込んだためだ。

さて、長期休暇に入り、本来ならヒマになるはずのこの時期だが、今回は少し違っていた。
というのも、この期間を利用して、ポカラで『数学コンテスト』を開催することになったからだ。