2013/11/19

Nepal-125: 制憲議会選挙 (二回目)

1119の今日、ネパールでは重大なイベントが行われる。
民主化してから二度目の『制憲議会選挙』である。
ニュースなどではほとんど報道されていないが、これはネパールという国の今後を決める極めて重要な選挙であり、今、ネパール全土が極度の緊張状態にある。(まぁ、元々緩みまくっているネパール人は、これでやっと人並みのような気もしないではないが‥‥)
実際、選挙の実施に不満を持つグループが各地で抗議行動をしており、特に人口の多い都市部周辺では、連日のように焼き討ち爆弾騒ぎが起きているらしい。
比較的治安の良いポカラでも爆弾が見つかっていて、安全のため、学校は全て休校となっているという。
ホステルの生徒たちも、プシュパとジャラナの姉妹以外は皆、村に帰っている。
一応、選挙の3日後くらいから学校を開く予定らしいが、選挙結果によっては更なる混乱も予想される。
最悪の場合、再び内戦状態に戻ってしまう可能性も決して無いわけではないのである。


ここで『制憲議会選挙』について書く前に、近年のネパールの変遷をちょこっと書いてみたい。(※私の個人的な解釈や推測が多く含まれています)
1996
年、ネパール共産党毛沢東主義派(いわゆる『マオイスト』)が王政に対して武装闘争を開始し、ネパール全土が内戦状態となった。
資産階級が大嫌いなマオイストは、各地で裕福な家庭を襲撃しては財産を没収し、それをばら撒く事で(特に農村部の)貧困層の間に支持を広げていった。
というのも、汚職や職権濫用が横行しまくっているネパールでは、権力(≒財力)があればほぼ何でも出来るため、役人や資産家は成金スパイラルでさらにリッチに、そうでない者は貧乏スパイラルで万年貧乏となり、貧富の格差はもはや『超えられない壁』となっていた。
そうして富裕層に対して大きな不満と嫉妬心を抱いていた貧困層の人々が、マオイストの出現によって銃を手に取り、共産主義の旗を掲げて、金持ってる人間を誰かれ構わず襲い始めた――――いうのが実際のところであろう。
奪った金をばら撒きつつ、「平等な世を作る」などとのたまえば、農村の無教養な貧乏人など簡単に味方にできる。
そもそも、まともな教育すら受けていない彼らが、政治思想など持てるはずがない。
もちろん、中にはマオイストへの協力を拒む者もいたが、そういった人々は脅されたり殺されたりしたらしい。
だが、いまだにどこに何人の人間が住んでいるのかすら、きちんと調べきれてない山深いネパールで、当時、一体何人の人間がマオイストによって虐殺されたのかを知る事は不可能だろう。(ちなみに、政府は毎年人口統計を発表しているが、誰がどうやって数字を出しているのかは謎である)
そんな感じでネパール西部を中心に徐々に支配地域を広げていったマオイストが、最終的に国土の6割を支配するに至ったところで、2006年、ようやく国王が主権の放棄に応じ、内戦終結の流れとなった。
こうして、ネパールは『王国』から『民主国家』へ生まれ変わったのである。
その第一歩が、根本的な国の在り方を定め、あらゆる発展の基礎となる『憲法』の制定だ。
これが無いことには、国として何も始められない。
そこで、憲法を起草するメンバーを決める『制憲議会選挙』が2008年に行われ、ネパール中の人が投票に行った。
その結果、マオイストが第一党に選ばれたのである。

しかし、その後の憲法作りは遅々として進まなかった。
マオイストは第一党に選ばれたものの過半数には届かなかったため、第二党のネパール会議派(コングレス)やその他の政党との間で、延々と話し合いが行われることとなったのである。(ただ、もしマオイストが過半数をとっていたら、カンボジアみたいなことになっていたかも知れないが)
元々、ネパールという国は様々な部族・民族・カーストが混在するモザイク国家であり、それぞれが異なる利害関係にある。
それが好き勝手に自分の利益を主張し始めたら何一つまとまらないのだが、そこで折り合いを付けられるほど精神的に成熟していないのが、悲しいかなネパール人である。
結果、ネパール各地でデモやストライキといった政治運動の皮をかぶった様々な妨害活動・迷惑行為が頻発し、一般市民の不満はマオイストを始めとする政治団体に向き始めた。
また、マオイストが選挙に大勝しても、彼らが選挙前に謳っていた『理想的な国』には一向に近づく様子が見えず、それどころか、彼ら自身が以前非難していた汚職役人たちと同じことをしているのを見るにつけ、政治への失望を深めていった。
そもそも大した理念も持たず、日頃の鬱憤晴らしに反乱軍をやっていたような連中に国を治める器などあるはずもないのだが、気付くのが遅すぎる。(まぁ、数年前、同じような経緯で民主党政権を成立させてしまった日本人も他人の事は言えないか)
こうして有象無象の政党が乱立し、制憲議会はお互いにカスリもしない主張を投げ合うだけの不毛な場になってしまった。
そして4年後、制憲議会はついに任期内に憲法をまとめる事が出来ず、解散となった。(五年も経って、まだ国家としての第一歩すら踏み出せていないのだから、国レベルで世の中ナメてるとしか言いようがない)

それから一年半の空白期間を経て、ようやく再度、制憲議会選挙でメンバーを選び直すことが決まり、今日の日を迎えたのである。
果たして、今度はちゃんと憲法ができるのだろうか。
これを読んでいる皆様も、しばらくはネパールの動向に注意していただけたらと思う次第である。

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